理想をかかげる!!

小手先のものってのはすぐ崩れますよね~(笑)

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

部活のこと

「楽しい」の裏には「正しい」がある。
この言葉をうちのポリクリのメンバーに話したことがある。
私が部に伝えたいことは、「正しい(それはたいていきつくて大変なこと)」をした先には「楽しい」が待っているということだ。
「正しい=楽しい」と暗示をかけろというのは無理な話だ。だから吹奏楽部がコンクールに出場するとき、きつい(正しい)練習の中に楽しみを見出すことはできない。そこでメンバーは考える。どうしてここまで辛い思いをしてでも音楽をしているのか。そのとき、自分にとって「音楽が楽しかった」ことに気づくのだ。なぜ、気づくのか・・・。その答えは簡単で、「正しい」ことをすると技術が磨かれて、自分の吹けないフレーズ、今まで表現できなかったものがいつの間にか表現できるようになっていたりするからだ。そして自分は音楽が好きであると自覚し、よりいっそう練習するのだ。
--------------音楽が好きだから、演奏する。
このことを、ライブだけでなく練習の中でも感じてほしいと切に願う。


部活はなにか楽しめるものを見つけてもらえたらそれでいい。
私の先輩がかつてこう言い残した。自分はもともと音楽を楽しんでほしいと考えていたのだが、別に部活は演奏ばかりではない。飲み会だってある。飲み会に楽しみを見出して部活を楽しむ人間がいてもいいのかもしれない。今日、ポリクリの班員の発言が脳内に残された先輩の格言を呼び起こした。考えてみれば、練習がしんどくてつらいけど飲み会とかイベントをその分楽しもう!という人がいてもいいのかもしれない。
とはいえ個人的には、せっかく軽音楽部に入ったなら演奏上手くなってほしいなぁ、と思ってみたりする(笑)


スポーツにおけるエンジョイ勢とガチ勢
とある部活では、2人でただラリーを続けて体を動かしながら一緒に楽しんでいるエンジョイ勢と、西医体のような大会で好成績を残そうとして過激なトレーニングをするガチ勢がいるらしい。
班員の1人に以下のようなことを言われた。「厳しい(=正しい)トレーニングなしでも(エンジョイ勢のように)楽しめるじゃないか」ということだ(その後、トレーニングの重要性を知ったとも話していたけれど)。これは私が前述した、「正しい」から「楽しい」への昇華とは異なった視点である。
以後、エンジョイ勢を厳しいトレーニングをしないもの、ガチ勢を厳しいトレーニングをするものとして話を進めよう(この定義がのちのち混乱を引き起こすとは知らずに…)。

音楽におけるエンジョイ勢とガチ勢
よし、ならばわが部におけるエンジョイ勢は、演奏が下手でも楽しむことが出来るだろうか。残念ながら、こと演奏に関していえば、トレーニングを積まずに演奏を楽しむことは不可能だと感じる。
サッカーが楽しいのは自分がボールを蹴る時の興奮、そしてチームの中で役割を果たすことの出来る満足感からくる。ここで問題となるのは「ボールを蹴る」という動作は小学生の頃から授業でやっていることであって、(もちろん蹴り方のフォームが云々とか問い詰めていくとガチ勢の仲間入りだが、)素人は何も考えずにボールを蹴ることができる。ボールを相手陣地に返せばとにかくなんでもOKなのだ。
しかし楽器となると話は別。一部の楽器は音を出すことすら難しく、スポーツに例えるとボールを蹴ることすら出来ない、ということになる。球技のルールはとてもわかりやすい反面、スケールなどといった音楽のルールはとても難解である。というわけで、軽音楽部のエンジョイ勢は、そもそもエンジョイ出来るだけの技術が必要になるわけだから、過去にどこかで苦労していなければならない。練習のもとでエンジョイが成り立つのはスポーツよりも顕著のはずだ(練習しればするほど楽しくなるのはどちらも共通の要素だが)。
つまりこう考えることができる。
---------エンジョイ勢は潜在的にガチ勢でもある。
あるいは
---------エンジョイ勢になるには先にガチ勢にならなければならない。
ということだ。

このエンジョイ勢、将来的に部内で逸材の人物になることは頷ける。というのには理由がふたつある。
まずひとつ目は、楽しんでいないやつより楽しんでいるやつの方が周りからの信頼は厚く、演奏をする上でも精神衛生上、得をしているからだ。
そしてもうひとつは「正しい」から「楽しい」への昇華を促すからだ。きびしい(=正しい)練習に嫌気のさした部員は考える---どうして(自分は)この楽器を演奏しているのか。そしてその答えが「エンジョイ」であることに気づく。すると、より一層練習する。これは前述した通りである。つまりモチベーションの高さが得をする理由なのだ。

エンジョイ勢ではないガチ勢とはなにか。
もちろん、練習自体は自分のペースで行えばいいし、限界や目標も自分が決められる。その範囲で練習している限り、14君(名指し失礼)はガチ勢であるが、エンジョイ勢からは抜けられない。でもそれはとても幸運なことだ。なぜなら、「エンジョイ勢と無縁のガチ勢」の人は、演奏したくなくても仕事だから演奏をしている悲しい人を指すからである。

4つのタイプ
これまで述べたことをまとめると、音楽をする人間には
1.エンジョイ勢にすらなれない勢(練習をしていない)
2.ガチ勢(エンジョイ勢まで達しないけど練習はしている)
3.エンジョイ勢(エンジョイできるくらいまで上手くなった元ガチ勢)
4.エンジョイの欠片もないガチ勢(仕事だからとりあえずやってる)
の4つのタイプがあるのだろう。
さて、
-------------これらのタイプをわが部で例えれば?
14君のような人間がどの組に入るのか。おそらく今まで自分たちがやってきたことは、色んな曲を勝手に苦労して練習して、勝手に技術が上がって、気がついたら表現できるものが増えたもんだから、勝手に楽しくなっている。そんなところだろう。部活をスタンダードに考えたとき、彼は3だと考える。彼をガチ勢だと考えるならば、それは間違っていないだろう----潜在的ガチなのだから。
2と3の違いはなんなのか。
それは、ジャズ特有のアドリブ力の有無と、ノリのよさなのかもしれない。
みんな譜面を見て演奏するだろう。譜面の通りに演奏するだろう。それでいいと思う。でもあなたの楽器から出てくる音はあなたしか出せない。おなじフレーズを何人かで吹こうとすればノリは微妙に違うはずだ。ジャズにはそれなりの禁忌があるが、それさえ踏まなければなんでもいい。譜面と同じじゃなくていい。だから演奏する曲を自分の曲にしてしまうことだ(コンボ曲にでればよくわかる)。
コンボをやるとみんな楽しかったと後で話をきく。エンジョイ勢に引き入れることが先輩の義務ならばなるべく多くの人をコンボに誘ってあげたいものである。

(まぁ、自分のやりたい曲は確保したいけどねw)


音楽とスポーツとでは上達の仕方が違う
さて、ここで私のなかで面白い発見ができた。
まず一つ目。私ははじめポリクリの班員の話をきいていると、人間はガチ勢かエンジョイ勢かに分けられるという固定観念にとらわれていた。しかし、本当はそうではない。その間があってもいいはずだ。
二つ目。音楽とスポーツの一番の違い、それはガチ勢とエンジョイ勢の成り立つ過程である。音楽はさきにガチになることでエンジョイできるが、スポーツにおいては、エンジョイすることから始まりガチ勢に昇進できる。言い換えると、音楽ではガチの上にエンジョイが成り立つが、スポーツはエンジョイの上にガチが成り立つということだ。だからこれら二つは前提が違うのだから、おなじ土俵に立たせてはいけないのかもしれない。
スポンサーサイト

Comment

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。